「毎日創作漢字」以外の普通の記事は初めてですね…


『創作漢字は音読みを「捏造」している』というツイートを先日Twitterで見かけました。
ひっそりとはいえ創作漢字を造っているものとして少し考えさせられるところがあったので、少し書いてみようと思います。
ちょっと長めです。(続きから)


こちらが件のツイートです。






なるほど、という感じです。

そもそも「音読み」って何かと考えると、一言で言えば中国語だと思います。日本で「みず」と呼ぶものを中国では「shuǐ」と呼び、それに「水」という文字を当てたんです(上古音は違う!みたいなのは許してください)

そしてこれは、いわゆる形声文字も例外ではありません。
例えば「飯」という漢字は、「食(意符)+反(声符)」の形声文字とされます。意符の「食」にのみ意味があり、「反」は音だけを表す、というわけです。

ここでよく勘違いされがちだと思うのが、
『ハン』と読む『反』が入ってるから『飯』を『ハン』と読む
わけではなく、
飯を表す言葉が『ハン』だから『ハン』と読む『反』を入れて『飯』を作った
ということです。読みづらい

漢字の「音読み」は中国語の「語」であって、漢字はそれに合わせて作っているわけです。
だから漢字は表意文字ではなく表語文字だ、ともいわれるのです。「水」という漢字は「water」という”意味”だけを表すのではなくて、「water=
shuǐ」という”単語”を表している、ということです(たぶん)
漢字の「形音義」は横並びではなくて、元から離されていた「音義」に「形」が後から作られたわけです。


少し余談を。

考えてみれば、会意形声文字(会意兼形声文字)なんて当たり前のものかもしれません。
「返」「坂」「叛」「板」・・・、これらは「反」を「ハン」という音符として用いると同時に「そりかえる」のような意味を共有する意符としても用いている、会意形声文字だ、と言われます。
つまり、中国語では「かえす」「さか」「そむく」「いた」のような単語を「ハン」というひとつの発音で読んでいた、ということになります。
でも、これって当たり前のことではないでしょうか?近い意味の単語だったから、漢字を作る前から同じ/近い発音を持っていたわけです。それらに宛てた漢字と「反」が意味・発音の両方で共通しているなんてそりゃそうだろ、と思います。

日本語に置き換えるとよりわかりやすいですね。
「合う」「会う」「遭う」「遇う」「逢う」・・・、どれも「あう」と読みます。それぞれ細かな意味は違います、しかし「離れていた2つのものが近づき触れる」という根底の意味は共通しています。中国語の「ハン」に「そりかえるイメージ」が共通しているのも同じです。読みは同じ、意味も近い、それを漢字で書き分けたわけですから、同じ部品が同じ読み・同じ意味をもって共有されたわけです。


閑話休題。

ここで創作漢字の音読みの話題に立ち返ると、上記の順番ではないことがわかります。
他人様の創作漢字を例に挙げるのも違うので、ここは私の漢字を例に挙げます。

こちらの記事を例とします。構成は
⿰足䍃、訓読み「よろめく」の他に音読み「ヨウ」を掲載しています。
このとき私がどのように「音読み」を決めたかというと、
「『ヨウ』と読む『䍃』が入ってるから『⿰足䍃』を『ヨウ』と読む」
です。
上で挙げた「勘違いされがち」な方法で読みを定めているわけです。本来の音読みではない、とさえ言えてしまいそうです。
なにせ、中国語の「ヨウ(yáo)」に「よろめく」なんて意味は無いんですから。国字のほとんどが会意文字であるように、この字も「䍃」は「ヨウ」の音のためではなく「揺れる」に通じる役割のために用いられており、そこに「音読み」がある必要はないのです。

上記の方(ともう1人の方)の会話をご紹介します。


私が『⿰足䍃』の字を作ったとき、「『ヨウ』という発音で『よろめく』という意味を持つ、存在しない言語の存在しない語をも生み出してしまった」というわけです。ふぅ~むなるほどなるほどなるほどー


じゃあそこで気になるのが、「音読みがある国字はどうなってんの?」ってとこです。
音読みがある(一般的な)国字というと、「働(ドウ)」「鋲(ビョウ)」「腺(セン)」なんかがあります。このうち「働」のみは音訓両方の読みを持ち、「鋲」「腺」は音読みしかありません。私の創作漢字にも、音読みしかない「ぞんざい」があります。

ここで着目したいのは「働」です。おそらく「はたらく」を漢字表記するために生み出されたであろうこの漢字が音読みも併せ持つようになった理由、それは「熟語を構成するため」だとおもいます。
「動」の字に人偏を加えて意味を限定する「働」は、これまで「はたらく」意で用いられてきた「動」に取って代わることができます。「労動」は「労働」となり、「稼動」は「稼働」、というように。熟語を構成する役割が求められた結果、音読みである「ドウ」が後から生み出され、「音読み」として付け加えられたのでしょう。
そのため、熟語にならない・なることを求められなかった国字(鱈・匂など)は訓読みだけで十分であり、音読みは作られなかったのだと思われます。

しかし、これも上の考え方では「音読み」ではなくなってしまいます。中国語を表すための読みではないからです。
国字の、現在広く認識されているいわゆる「音読み」の定義は、「中国の漢字の形声文字のような、構成部分の一部と同じ読み方」といってよいでしょう。つまり、そこでいう「音読み」は中国語ということではなく、「中国語風の読み方」だということなのです。
そう考えると日本で日本語を表すために作られた読みである以上、「訓読み」の方が正しいのではないか、という気すらしてしまいます。

しかし、訓読みを「和語」であるとすると、「はたらく」意の「ドウ」は当然訓読みではありません。
双方の定義を厳密にしていくと、熟語を構成するために付け加えられた読みは、音訓どちらでもない存在になってしまいそうです。

とはいえ、わざわざ音・訓に次ぐ「第三の読み方」を付け加えてはくどくなってしまいます。音訓混ぜるのも考えましたが、視認性が悪くなります。
少なくとも、創作漢字や国字でいう「音読み」は、本来の「音読み」とはかけ離れたものだと言ってよいでしょう。引用したツイートの方、すごいです(語彙力)


☆☆☆


で、以上のことを踏まえて今後の方針です。


①当ブログでの「音読み」は、それ単体では和語として意味をなさず、かつその字の構成部品の一部と同音である「読み」を示す。
②熟語を構成しない漢字には極力音読みを掲載しない。また、音読みを記載する場合はそれを用いた熟語を掲載する。
③熟語は有用性・固有性などを考慮し、必要なもののみを掲載する。


ここまで書いといてアレですが、厳密な音読みの定義には従いません。ある程度わかりやすさを優先し、一般的な「音読み」の条件-『中国の漢字の形声文字のような、構成部分の一部と同じ読み方』-をもって代えることにします。
ただ、無意味に音読みを付けたり使い道皆無な熟語を載せたり、そういうのは減らしていこうかな、とは考えています。


素人ですので誤りや指摘などありましたら教えてください。確認して修正します。